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札幌高等裁判所 昭和57年(う)185号 判決

主文

原判決を破棄する。

被告人を罰金七万円に処する。

右罰金を完納することができないときは、金二〇〇〇円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。

原審及び当審における訴訟費用は全部被告人の負担とする。

理由

本件控訴の趣意は、検察官寺西賢二提出(検察官矢野収藏作成名義)の控訴趣意書に記載されたとおりであるから、これを引用する。

所論は、要するに、本件事故は被告人が先行車の追い越しを開始する際、右後方から自車を追い越そうとしている車両の有無などに対する十分な注意義務を尽さなかつた過失によつて生じたことが明らかであるのに、原判決が被害車両の運転者佐野英樹及び当時同車の後続車を運転し本件事故を目撃していた者らの信用に値すべき各供述を排斥又は軽視し、被告人の不自然、不合理な内容の供述を信用できるなどとして、被告人の過失を否定して無罪の言渡しをしたのは、証拠の取捨選択又は評価を誤り、事実を誤認し、ひいては法令の解釈適用を誤つたものである、というのである。

一そこで、原審記録を精査し当審における事実取調べの結果を加えて検討すると、本件事故現場の状況、事故発生の経過の大要、関係車両の車長、車幅等の基本的事実関係は、次のとおりと認められる。

1  本件事故現場は国道二四〇号線の道路上で、最高制限速度が四〇キロメートル毎時と定められた牧草地を貫く平たんで見通しのよい直線道路であり、片側一車線で歩車道の区別がなく、有効幅員は約6.8メートル(道路の両端にはそれぞれ幅員約1.5メートルの路肩部分がある。)のアスファルト舗装の道路である。

2  本件事故発生当時、被告人は大型貨物自動車を運転して前記道路を原判示の方向に向つて進行し、その先行車として約一〇メートル前方を原判示のタンクローリー車が走行し、また、被告人車に続いて、約一〇メートルをおいて本件の被害者である佐野英樹の運転する外国製乗用自動車、更に同車から約三〇メートルをおいて藤丸寿運転の普通乗用自動車(以下「藤丸車」という。)が走行し、各車はいずれも約六五キロメートル毎時の速度で走行し、当時対向車はなかつたこと。

3  このような状況で四台の自動車が進行中、事故現場の手前で、佐野は被告人車及びタンクローリー車を追い越そうとし、前方及び後方の交通状況を確認し右側のウィンカーを点燈させて時速約九〇キロメートルまで加速しながら道路右側の対向車線上に進出し、被告人車の荷台部分の中央部付近まで追い上げて同車と並進する状態となつた際、被告人においても先行のタンクローリー車を右側から追い越そうとして急に対向車線に進出してきた。そのため、佐野は警笛を二回鳴らしたが、効果はなく、なおも被告人車が右側に寄りつづけて佐野車の進路を塞ぐ状態となり、そのため被告人車との衝突を避けようとした佐野がハンドルを右に転把して自車を右側路外の牧草地に乗り入れ急停車措置をとつたが、その際の衝撃により佐野及び同車に同乗していた菊地映示がそれぞれ原判示の傷害を負つたこと。

4  被告人車は、車長約11.94メートル、車幅約2.49メートル、車高約3.12メートルの大型貨物自動車であり、同車の方向指示器は、前部及び後部の各両側のほか車体のやや中心部の両側にも設置されている。サイドミラーは車体の前部の両角に取付けられており、運転者は同ミラーによつて右後方及び左後方の状況を確認することができる。佐野車は、車長約5.77メートル、車幅約2.04メートル、車高約1.41メートルの外国車であり、運転席が左側に設置され、車体の色がダークグリーン系の色である。なお、藤丸車は国産車(ルーチェ)で車体の色がクリーム色である。

二本件事故発生の状況は右のとおりであるところ、原判決は、被告人の検察官に対する供述及び原審公判廷における供述その他の関係証拠を検討したうえ、

(一)  被告人車は、本件事故現場の相当手前で、タンクローリー車を追い越すため右側に進路を変更することの合図として右側ウィンカーを点燈したと認めるのが合理的であること、

(二)  しかも、被告人が右ウィンカーを点燈した直後に自車の後方の交通状況を確認したところ後続車で自車を追い越そうとしている車両のないことを確認したという被告人の供述も信用することができること、

(三)  更に、被告人車が前記ウィンカーを点燈した時点において、佐野の運転する車両がすでに被告人車を追い越しにかかつていたことはないと認められるべきであること、

このように事実関係をは握しこれを前提として、被告人車が右側ウィンカーを点燈してから対向車線内に進入するまで約四秒ないし一〇秒間経過していることが認められ、しかも、その間に再度自車の右側後方の交通状況を確認する措置に出たことはないが、追い越しの方法に関する道路交通法規の規定や本件に類推されるべき右折車両の後続車両に対する後方確認の注意義務について信頼の原則の適用を認めた最高裁判所判例の趣旨などに徴すると、再度右後方を確認しなかつたことは非難の対象とすることはできず、結局、被告人には公訴事実記載の右側後方の安全を確認すべき業務上の注意義務の懈怠の過失があるとの証明はないとして、無罪の言渡しをしている。

三しかしながら、原判決の理由には賛同し難く本件について無罪を言渡すべきものとした結論も是認することができない。すなわち、

原判決の右理由の前提とされている、被告人車が事故現場にさしかかる相当手前で右側ウィンカーを点燈して進路変更の合図をしたかどうかであるが、この点について、原判決は、被告人の供述の信用性を認めるとともに、「……藤丸証言によれば、被告人が故意に佐野車両の進路を妨害したものではないと供述していること及び被告人は職業運転手であるので、追い越し行為に出る時に右側ウィンカーを点燈させないことは、他に故意に点燈させないか、あるいは点燈を失念するような特段の事由のない限り不自然であり、他に特段の事由の認められない本件においては被告人はウィンカーを点燈させたものと認めるのが合理的である。」としている。しかしながら、職業運転手であつても進路変更の合図を故意に又は不注意で行わない場合があり、ことに、時機に遅れ追い越しの開始直前にウィンカーを点燈したり、又は追い越し開始後進路変更の中途で点燈することは往々にしてありうるところであり、軽々に原判示のような見方をすることは許されない。のみならず、被告人は、検察官に対する供述調書、原審及び当審公判廷における各供述において、事故現場にさしかかる約一〇〇メートル手前で右側ウィンカーを点燈した旨供述しているが、その供述内容全体を精査すると種々の不自然な点や、推測に基づく部分が随所にみられることなどの諸事情を考慮すると、被告人の右各供述は必ずしも信用し難い反面、佐野英樹の捜査官に対する供述及び当審公判における証言によれば、同人が被告人車を追い越そうとして追い越しに必要な注意を行い、進路を変更して被告人車と並進する状態となりその後被告人車が自車の進路に進出してくるまでの間に被告人車の右側ウィンカーの点燈を見たことは全くなかつた旨及び被告人車のような大型貨物自動車が右側ウィンカーを点燈しているのに自車がこれを追い越そうとすることは自殺行為にひとしく、そのような追い越しをするはずはない旨供述し、この点に関する右供述は、具体的、詳細であつて信用に値すると認められ、更に、佐野車両の直近の後続車を運転していた原審証人藤丸寿も、被告人車の右側ウィンカーの点燈を見た記憶はない旨述べ、また、藤丸車の助手席に乗車していて本件事故を目撃し、その状況を詳細に述べる当審証人小西和彦も、被告人車は右側ウィンカーを点燈していなかつた旨明確に証言していること等を総合すると、被告人車が進路変更の直前又は進路変更後に右側ウィンカーを点燈したかどうかは別として、少なくとも、被告人が供述するように、事故発生現場の約一〇〇メートルも手前から右側ウィンカーを点燈していたというようなことは認めることができず、また、佐野において、被告人車が右側ウィンカーを点燈しているのを無視又は看過して追い越しをはじめたということも認めることができない。

更に、被告人は、原審及び当審公判廷において、右側ウィンカーを点燈した直後にサイドミラーによつて後方を確認したところ、白色系の国産乗用自動車が後続していたが、被告人車は全くみかけなかつた旨供述しているが、佐野車が被告人車と藤丸車との間にはさまれる状態で相当距離を走行していたことは、前記佐野、藤丸、小西の各証言によつて明らかであるから、被告人がウィンカーを点燈した直後に後方をみたところ佐野車を見かけなかつたという被告人の供述は信用し難く、又は被告人は後方を見たがその注視が不十分であつたため佐野車の姿を見落としたというほかない。また、被告人は、前記のように右側ウィンカーを点燈した直後に後方を確認した後、約四秒ないし一〇秒を経過して右方に進路変更をするまでの間、前方のみを注視し右側後方を確認しなかつたと供述しているところ、本件のような道路における追い越しの際の自車の右側後方の交通に対する安全確認の方法としては、右側ウィンカー点燈の直前における確認だけでは足りず、進路を変更して対向車線内に進入しようとする直前においてもサイドミラーなどを用いて右後方の交通状況、とくに並進車両の有無について十分な注意を払うべきであると解するのが相当であるから、この点においても、被告人の本件追い越しの方法は適切を欠くものであつたといわなければならない。そして、本件道路の幅員及び状況、被告人車及び被害車の型状などに司法巡査作成の昭和五六年一〇月二七日付実況見分調書によつて認められる被告人車前部右角に取付けられたサイドミラーによる視認範囲などを合せ考えると、被告人が進路変更の直前に右のサイドミラーを利用して自車の右側後方の交通状況に対する確認義務を尽くしたならば、当時被告人車の荷台中央部右側付近まで進行しつつあつた被害車両を容易に発見して、本件事故を回避することができたものと認められる。

以上の次第で、原判決には事実を誤認しこれが判決に影響を及ぼすことは明らかであるから、原判決は破棄を免れない。論旨は理由がある。

よつて、刑事訴訟法三九七条一項、三八二条により、原判決を破棄したうえ、同法四〇〇条但書を適用して、更に次のとおり判決する。

(罪となるべき事実)

被告人は、昭和五六年四月三日午後五時三〇分ころ、業務として大型貨物自動車を運転し、釧路市鶴丘八番地付近道路(車道幅員約6.8メートル)を阿寒町方面から大楽毛方面に向かい時速六五キロメートルで進行中、前方を同方向に進行中の大型貨物自動車を右側から追い越すにあたり、右側後方の交通の安全を十分確認したうえで追い越しを開始すべき業務上の注意義務があるのにこれを怠り、右側後方の安全確認不十分のまま漫然前車の追い越しを開始した過失により、おりから自車を追い越すため自車と並車状態にあつた佐野英樹(当二七年)運転の普通乗用自動車の進路を塞ぎ、同車を右側路外に逸脱転落させ、よつて、同人に対し加療約一七八日間を要する頸部捻挫(椎間板損傷)等の傷害を、同車に同乗中の菊地映示(当二〇年)に対し加療約二週間を要する頸椎捻挫等の傷害をそれぞれ負わせたものである。

(証拠の標目)〈省略〉

(法令の適用)

被告人の判示佐野英樹及び菊地映示に対する各業務上過失傷害は刑法二一一条前段、罰金等臨時措置法三条一項一号に該当し、右は一個の行為で二個の罪名に触れる場合であるから刑法五四条一項前段、一〇条により、犯情の重い佐野英樹に対する業務上過失傷害の罪の刑で処断することとし、所定刑中罰金刑を選択し、その所定金額の範囲内で被告人を罰金七万円に処し、右罰金を完納することができないときは、同法一八条により金二〇〇〇円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置することとし、原審及び当審における訴訟費用については刑事訴訟法一八一条一項本文を適用して全部被告人に負担させることとし、主文のとおり判決する。

(渡部保夫 仲宗根一郎 大渕敏和)

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